| それまで徳川幕府という信じて疑わなかった巨大な権力が、ペリー来航という外国よりの圧力にいとも簡単に揺らぎはじめた・・・そうなれば人々は、もっと強い存在を必要とするものです。 征夷大将軍よりもっと尊き存在、それはこの日の本においては、天皇こそが・・・所謂、尊皇攘夷です。 それを強く主張していた藩が薩摩、長州そして土佐藩です。とくに過激だったのが長州藩といわれてます。 天皇をまつりあげ徳川を潰す・・・といった尊皇攘夷論者によって藩自体が支配されておりました。 天皇がおられる京都こそこの時代、それぞれの思想、野望の坩堝と化していたのです。 そしてその邪魔をする者たちへは、容赦ない制裁を加えていました。「天誅」・・・と叫びながら。 | | すでに、町奉行所などの与力、同心などは震えあがって手が出せない状態でした。 そんな京都の治安、そして幕府と朝廷との間を取り持つ役目まで務める京都守護職に会津藩主松平容保公が任命されたのです。 攘夷を掲げる過激派たちに立ち向かうことができる人間、腕の立つ命知らずな剣客を少しでもほしい・・・・・・・・そんな時に、浪士隊として京に上りながら策士清河の帰東命令にさからって残留し、腕は立つが金策に喘いでいた近藤、芹沢一派が目に止まったのかもしれません。 もちろん近藤、芹沢の熱心な申し入れがあったのも事実です。 そうして、新撰組と名のることとなるこの集団は、まずは「会津藩お預かり」という立場を得るのです。 | |